昨日は明らかに様子がおかしかった。朝はまだ大丈夫だったけど、時間が経つにつれて、会社にこれから社長が来る、来る、まだ来ない、いつ来るの?来たらどうする?報告ちゃんとできるか?何が成果だった?何もない。僕の対応が至ってないことがたくさんあるのはわかっているけど、また何を言われるだろうか。あー、どう思われてる?自分は何してた?何ができるの僕には?うわー、もうだめー、こわいこわい。となって、お昼には様子がおかしくなっていた。いざ社長に会っても、その様子は変わらず、顔面はこわばり、笑顔が出ない。しばらくその時間が続く。社長に呼ばれて話すとドキドキしてしまう、緊張してしまう。僕ができていないことを指摘される。うん、できてません。そんなふうに考えられてません。頭が動いてません。自分で考えて出した結果が、うまくいかない、それを指摘、注意される。それを僕は、僕自身の否定と受け取る。お前は何てダメなやつなんだ。それもわからないのか、そんなことも考えられないのか。自信がどんどんなくなっていく。自信がないから、自分から動けない。そして顔色を伺う。顔色伺った所で、自分の意志はないから、ああしたい、こうしたいがないから、どうしたらいいでしょうか?と聞いて、そうすると思いもよらない話になり、また僕は自信を失う。僕にはそんな考え、その行動、できません。あなたはできる、考えられるから、それでいいかもしれませんが、僕にはその思考、行動力、ありません、持ち合わせていません。僕はそう思うと、頑張ることよりも諦める方を選ぶ。そういう人生だったし、僕に向いていない、やれないことに力を注ぐことは、無駄だとすら感じる。本気でやったこともない仕事だ、本気で向き合っていない。だってやりたいことではないし、得意なことでもない。自分で嫌だなぁと思ってること、面白いと思わないことに対して、エネルギーをかけるって、できますかね、僕にはできません。得意なバスケですら、途中で諦めた、あー、住む世界が違う人がいるなぁ、あれとこの先戦っても無駄だなぁ、と。負けるよりは楽しい、上手くならなくても、続けられる方を選んだ。もちろん勝ちたいけど、上手くもなりたいけど、それには限界があって、僕には届かない場所があって、早く走ることも、力を強くすることも、どうしても敵わないことを目の当たりにして、あとはもう、自分でやれることを楽しくやっていこうと思った。諦めたんだ。自分の可能性を追求しないで、もうここが限界、結構頑張ったじゃん、そこいらのバスケプレーヤーの中では上手い方になったんじゃない?って満足した。それで十分だと思ったんだ。バスケをするのが苦しいとは思わなかった。部活でしんどい思いはしたけど、逃げ出したい、辞めたいとは思わなかった。しんどかったけど、楽しかった。いろんなチームと試合をして、僕のサイズ、僕の運動神経で、やれるのはここまでだろうなぁと実感した。
待てよ、僕は自分が好きなことからも逃げてしまったのか。僕は限界までやってない。大学行っても部活に入ったり、今も頑張ってるシニアチーム、たくさん練習している人たちを見て、できる人はいいよねー、そういう環境があって、僕にはないからできません、やれません。その中でこの程度なのはなかなかのもんでしょ?と思っている。それじゃ上手くはならんよね。いや、上手くなりたいのか?楽しくバスケしたいんだ、僕は。
うん、わかった、仕事もそう。体力的なしんどさなんかは大丈夫。だけど、気持ちが楽しくないのは、辛い。やりたいと思わないことを続けることの辛さ。お金のためだから仕方ない、としか思えない。お金のため、僕は嫌な時間を過ごして、楽しく生きられないのか。
楽しく生きたい。自分を見つめるために、YouTubeで見つけた自己啓発なのか、自分の心を見直す質問に答える形の資料をダウンロードした。ちょっとやってみたけど、なんだろう、うまく答えられない。自分のことをよくわかっていないってことだ。けど、これは訓練だ。自分の好きややりたい、心が踊るものは何かを知ることから始めよう。
今日の一曲♪
奥田民生/トロフィー