重くて重くて

心は軽くならない。どこかしら重たさを感じていて、だけど、その日の自分の体調やこの後に起こることに対しての不安や嫌悪感を想像して、多いか少ないかによって、重さの度合いが変わってくる。重たいということには変わりがない。

電車に揺られている。スマホで動画やネットを見ている人がほとんどだ。この人達の悩みは何なのだろうか。僕みたいに、心に重さを感じて、日々を過ごしている人はどれだけいるのだろう。

こんな風に考えているだけで、僕はいかに他人を意識して、比較して生きてきたかがわかる。自分の思いや考え、指針となるようなものは、一切存在しなくて、誰かと比べて、自分は優れているか劣っているか、幸せか不幸せか、充実しているか不満か、そんなことをずっと気にして生きてきた。

僕にとっての幸せだったり、充実というものに、もう少しフォーカスして、何かにとらわれることなく生きていってもいいのかもしれない。とはいえ、家族もいるし、無茶なことはできないし、最低限守らなければいけない条件もある。もしも、独り身だったら、僕はこれからどんな人生を送るだろうか。いや、これまでだって、すでに違う人生を歩んできたことだろう。

こうして、将来についてではなく、過去を振り返り、過去にしがみつき、あの頃はよかったと思い返し続け、それに比べて今は…、と今の幸せを認めようとはしない。今の状態でも、誰かと比べたらとても幸せな状態だろう。だがしかし、それでも僕よりも幸せな人や裕福な人、充実してる人を疎ましく思い、だけど、それをモチベーションに変えず、ただ羨ましく思うだけ、そして僕なんて、僕なんてと自分のことを認めず、ずっとウジウジしている。

かと思えば、あの人よりは優れている、僕の方がこの部分では長けている、と見下したり、優越感を得たりしている。そして、それで安心して、努力を怠る。羨ましく思ってる相手に、自分がなれるかもしれないし、見下してる相手に、これから自分がなってしまうかもしれないし、他の優れている人から見たら僕なんて見下される人間なのに。

世界は広いことは知っている。だけど、広い世界の上の上を目指すのではなく、僕が自分の力で活躍できるところで、力を発揮できるところで生きていければそれでいい。やはり、僕が気持ちいいと思える環境に身をおきたい。世の中のしんどさ、辛さに向き合っていくには、僕には免疫力や反発するだけのエネルギー、精神面が備わっていない。ある程度のところでいい、トップを目指そうなんて気持ちは、さらさらない。

相手から仕事を取ってくるなんて、誰かの分を奪ってくるなんて、そんな気持ちにもなれない。だけど、それをやらないと会社は潰れてしまう。それに対しての危機感が薄い。僕がやれる事は、そういう競争ではない、人から蹴落とされるのは仕方ないけど、人を蹴落として生きていこうとは、全く思えない。

だけど、何かをしたら、誰かの何かを奪っているのだろう。そうしたら、何をしても誰かの何かを奪うし、奪ったからこそ与えられるのだろう。

僕は何がしたいんだ、人から感謝されることは気持ちいいが、人の役に立ちたいとかいう、誇り高い気持ちもない。

僕は何がしたいのだろう。また朝からひどい文章。そして溜め息。色んな人に話を聞いてみたい。酒飲みながら、話をしたい。僕の将来、どうしたいんだい?

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