10月22日

子供がやろうとしてることができなくて、なかなかうまくいかなくて、イライラしちゃって泣いている。かにぱんの袋が上手く開けられなくて、ギャーギャー泣いている。もう食べたくない!いらない!と食べ物を粗末に扱う。それを見て親は怒る。食べ物を粗末にするな!そんなことしてはダメだよ!って。そこはオッケー。だけど、イライラすることに対して、怒っていることもある。イライラして泣いて、訳わからなくなっている子供に対して怒ってしまう。これ、僕も奥さんもあるのですが、これはちょっと間違いだよなぁと後から考えると、反省するのである。だってさ、イライラしちゃうことはあるでしょ、そのイライラをどうやって表現するか、どうやっておさめるのか、の方が大切だと思うのです。もちろん、ひどいことされたり、嫌なことされたり、自分の思っていたことと違っていたり、イライラのシチュエーションは様々だと思うけど、それをね、そのまま人にぶつけるのはいいことかな?悪いと言うよりは、良くはないよね?ってことをわかってもらいたい。子供だからさ、そんなことを言ってもなかなかわからないし、わかったとしてもまた同じようにイライラして乱暴にしちゃったり、粗末にしちゃうことも必ずある。だってさ、大人だってあるんだから。そうやって、子供がイライラしてることに対して、イライラしちゃって、同じように乱暴になったりしたら、全く一緒になってしまう。そうではなくて、やはり大人は少しゆとりを持ったり、余裕を持って、他愛のないイライラに同乗しないで、落ち着かせてあげたり、ちょっと間を取ったり、少しほったらかしたり、違う方法で気をそらせたり。そんな風にできれば、大人のイライラが減れば、子供のイライラをいい感じにおさめてあげられるんだろうな。 

僕の個人的な考え、持論。怒りを表現することは、幼さの表現と一緒だと思っている。だから、怒っている人を見ると、恥ずかしいと感じる。僕自身も怒っていて、人にそれを表現した時は後からものすごく恥ずかしくなる。しかも、その内容が怒るようなものではなかった時、これはどうしようもなく恥ずかしい。あまり言いたくはないけど、奥さんは結構怒りを表現することが多い、子供に対しても僕に対しても、親に対しても。自分の思い通りというか、計画や考えてることがその通りに進まないことに対して、もしくはそれを無駄にされることに対して、ひどく怒る。だから子供かイライラして何もできない、しない、やりたくないとなっていると一緒になって怒ってしまう。僕が急に予定を行ってきたり、奥さんの親や兄弟と予定の話が上手く進まなかったりすると、これまたイライラする。奥さんには自分の思い、考えがある、それを自分からは表現せず、気を遣いながら、相手と話をしながらも、なかなか上手くまとまらなかったりすると、イライラしちゃう。気を遣ってる割には、最終的に奥さんがイライラして、相手に気を遣わせる。これは、結構側から見てて、はてな?、と感じる。お互いに気遣いをし合ってるから、なかなか本心を言わずに隠していることはよくあるのだけど、その結果上手く伝わらなかったり、まとまらなかったりするのなら、ストレートに私はこうしたいとか、誰かにこうして欲しいと伝えた方が、イライラは出ない気がするのだけど。

やはり、子供のイライラよりも大人のイライラが気になる。僕の身近な奥さんもいろいろとイライラスイッチがあることはわかっているけど、僕がそこまでイライラしたりしないタイプだったり、イライラすることがあっても、それをなるべく表現したり、ぶつけたりしないようにする努力をしているから、奥さんにもなるべくイライラしないようにしてもらいたいと日々思う。子供たちも親の怒り方に似てくるからさ、そういう意味でも、気をつけて子育てしたり、日々を過ごしたりして欲しい。もしかしたら、奥さんは怒りがパワーになったり、モチベーションになったりするタイプなのかな?デヴィ夫人は、怒りが自分のパワーだと言っていたし、そういう人もきっといるだろうとは思うし。もし、怒りがパワーになったとしても、もっと違う形で出力した方が、自分にも周りに対しても、より良いと思う。

僕は怒る人は苦手だもん。怒られたくないよー。悪いことをして怒られるならまだしも、特に悪いことはしてないのに、怒られるのはイヤだなぁ。それは子供も一緒か。怒り方、注意の仕方、言葉遣い、考えないとなぁ。

今日の一曲♪

スピッツ/ルナルナ

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