この間、下の子が溶連菌と手足口病のダブルパンチをくらった。熱が出て、辛そうにしているのも見ていられないし、喉が痛くて、お腹空いててもたべたくない、飲みたくない状態が2〜3日続いて、結構痩せてしまった。
子供が辛そうにしている、泣いてご飯も食べられないでいるところはとてもかわいそうで、代わってあげたいとつくづく思った。こればかりは仕方のないことなのだけど、ちょっと元気になったり、ご飯食べたりした時にニッコリしてくれたりすると、あー、良かったと胸を撫で下ろして、抱きしめてあげて、健康第一、元気で過ごせることが本当に素晴らしいことだなぁと心から思うのだった。
かく言う僕は、こないだ謎の蕁麻疹が出た。何か食べたりアレルギー的なものでもなさそう。おそらく疲労からくるものでしょうと。薬をもらって今となってはすっかり良くなってくれた。年も年だし、前とは体の様子がガラリと変わってきてることは否めない。寝ても疲れは取れないし、バスケすれば体のどこかは痛くなるし、大学生の頃のあの体力とは比べものにならないくらい衰えている。ピッコロ大魔王が永遠の若さをくれと神龍にお願いしたのも納得だ、若さは財産だ。時間と共に、間違いなくみんなから離れていく。離れていくスピード感は個人差があるにしても、必ず今日よりは明日、明日よりは明後日の方が若さは僕らから離れていく。若さは有限だ。つまりは時間だ。なるべくなら時間の流れに抗って、若さを維持しようと心では思っているが、日々の行いはそれとは程遠い。食べ物や習慣なんかを考えても、若くありたいがためにやれていることなんて、何一つないのではないだろうか。まあ、運動、バスケを隔週程度だがやれていることは、まだ救いなのかな。
そう言えば、上の子も体調不良というか、謎の蕁麻疹。腕からお腹、今朝は太もも辺りにまで広がってきた。奥さんが今日の夕方に病院に連れてってくれるみたいだが、本人は痒くてたまらないだろうなぁ。あれもまたかわいそうに、僕が全部引き受けるから、上の子から退場してやってくれ、よろしくお願いします。
僕は、子供たちは、奥さんは、僕の父ちゃんや母ちゃん、アニキは、奥さんのお父さんお母さん、奥さんのお姉ちゃん家族は、僕の友達は、その家族は…。僕の身の回りにいる人たち、僕に関わってくれた人たちは、末永い健康と穏やかな毎日を。
自分の子供や僕自身の体調、体の状況の変化のことを気にかけていたら、この先のことが何となく不安になり、心配になり、僕にはそれを解決することなどもちろんできるわけなくて、ただただ、心の中で祈るしかできないのだった。
何となく目の前には大切だったり、やらなければいけないことはあるのだけど、果たしてそこまでしてやらなければいけないことなのだろうか。この日をいつも通りに過ごしたり、何気なく行ってきます、行ってらっしゃいと見送り、見送られて1日が始まるのだけど、もしかしたら今日がいつもと同じであることは今日で最後かもしれないし、明日からまた全く違う一日が待っているかもしれない。とても不穏な、迎えたくはない日が待ち受けているかもしれない。そう思ったら、今日の子供達を、奥さんを、僕自身を、せめて目の前で抱きしめてあげられる人たちを、もっともっと慈しんで、愛しんであげられるようにしなければと、何とまあ、壮大な感覚になってしまった。
体調の悪い子供、僕らは仕事があり、すぐに病院には連れてってあげなくても、別状はないだろうと判断して、今に至っている。もしも、本当はもっと重篤な状況で、本人が我慢し続けていて、僕らに気を遣って、本心を伝えられないでいたら、なんて想像したら、ただただ不安になったり、申し訳ない気持ちになってきて。大丈夫かなぁ、と心配になってしまい過ぎている。
考えすぎか。
今日の一曲♪
andymori/光