すばらしい日々

昨日の話。

上の子が保育園で様子がいつもと違う、元気がない、顔色悪い、ちょっと戻してしまった、熱はないから様子は見るけど、両親でそうだんしてみてくれと。保育園から奥さんに、奥さんから僕に電話。今日は私は早くお迎え行けるように調整できると思って言ってたし、僕はその日の面談や次の日のスケジュールもあるので厳しいなぁと話してたら、怒った様子で電話を切られた。

早く帰れるように仕事してたけど、役員が遅くまで話し込み、挙句僕が報告する時間は遅くなり、その報告や僕の対応についてその後から注意が始まり、いつもよりも遅くなってしまった。子供のことはずっと頭にありながらも社長からの指導を聞いていたが、とりあえず奥さんがお迎えいけると言っていたので大丈夫だろうと思っていた。

家に帰ったらとりあえず子供達がいる前では怒ってなかったけど、子供達が寝たら機嫌は最悪。なんで早く帰れないんだ、お迎えお願いしてる時はちゃんと調整出来てるのに、こんな緊急の時に子供のことは心配じゃないのか、なんで私ばかりしごとの調整しなきゃならないんだ、と。

普段からそういうふうに思ってるんだなぁ。自分ばかりが負担していて、俺には全く負担がかかっていないんだと思ってるんだろうな。自分の方からは口を開かず、自分の状況や希望やどう考えているかは言わずに、ただイライラしていることをアピールするばかり。これが僕がその日早く帰れたからと言って明日の仕事の状況は変わらないし子供の体調がどうかなんてことは誰にもわからない。イライラを表面一杯に出すことやこちらにプレッシャーをかけることが何の得になるのだろうか。こういうことが重なる度に、色々と考えてしまったり、色々と振り返ったりしてしまう。

色々と一生懸命なのはわかるけど、それは自分だけで、近くにいる僕たちは一生懸命にやってなかってり、自分だけが負担をしていて、それは他の人の助けがないからだと思っている。自分がやりたいとか自分がやるべきだと思ってやってることもあって、たまにそういうことですら、不満に思って爆発する。いやいや、奥さんが自分で手を挙げたのでしょう、といつも思ってしまう。

夜の寝つきが悪い奥さん。だから僕が早く起きて身支度し、それから子供達を起こす。その間奥さんは寝てる。保育園に行くのが遅くなってしまって、会社に行くのがギリギリになることもしばしば。だけど、それは僕がもう少し早く起きれば解決する話だ、と思っているのだけど、昨日のようなことでイライラされるなら、毎日一緒に起きてくれーと思ってしまう。夜眠れなかったりすぐに起きちゃったりしちゃうのだから、朝は少しゆっくりさせてあげようという、普段はそれが当たり前になってるのだろうけど、それはあくまで僕が、まあいいよ、と目をつぶってあげているところだ。相手の出方によっては、人はそれならこうだよ、と反撃をする、やさしさや気遣い、配慮、遠慮から行ってきた行動は全てなくなることもあるだろう。

こんなことを考えてしまうと僕はなんて心の狭い奴なんだと改めて実感する。とはいえ、仕事から帰ってきたのが遅い人を労うわけではなく、イライラをぶつけることに対してはやはり納得いかないところがある。奥さんは自分はお迎えに行くのが当たり前、僕は朝送って行くのが当たり前、それはそれでおあいこだろう、それに対して帰りが遅いとイライラするのであれば、起きるのが遅いと言ってイライラしても良いことになる。あ、だめだ、またこんなこと言っている。

あ、電車のドアに広告。松本大洋さんの漫画だ。最近はすっかり新しい漫画や音楽から興味関心が離れてしまった。これこそが僕が僕でいられる大切な要素というか、若い頃から大切にしてきた時間だったはずだ。仕事や家族も大切だけど、それをしっかり維持するためには僕がしっかりと僕としていることが大切だ。

僕が僕でいるって、そもそもなんだ?笑

今日の通勤BGM♪

Show Business/Cymbals

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