自分スタイル

プレッシャーをかけられてやっと動き出す。プレッシャーを感じて仕方なくやる。僕は今、そんな感じだ。やらなきゃいけないことはあるのだけど、それが何なのかよくわからず、とりあえず思いついたものややりやすいものから始めている。だからか、充実感や成長感がないのは。

僕がバスケが上達した理由は、単に楽しくて楽しくてたくさんシュートを打っていたから。見てるだけでも面白くてNBAの試合やビデオを何度も見ていたから。他の人が練習したり、考えたりしていない時に僕は練習したりバスケのことを頭で考えていたから。他の人から見たら、僕がしてきたことは努力なのかもしれないが、当の本人は全くそんな風に思っていなくて、ただ楽しくて、やりたくてやった結果でしかない。特別な運動神経もない僕にとっては、自分よりも大きかったり、速かったり、高く飛べたり、力が強い相手にはどうしても敵わないと思っている。だけど、そんな選手はゴロゴロとそこいら中にいるわけで、大抵僕がマッチアップするのはそんな相手がほとんどだったから、いかにして負けない、もしくは何か一つでも勝てるような、一回でも相手を困らせるようなことができないかとアレコレ考えていた。

己を知り、自分のできない事は無理にやらない、やれる事でやれるだけのことをするだけ。今の自分は、何かしらできるだろうと、人よりは優れているだろうと思い込んでいた節があり、実際は全くそんなことなく、いろいろな社会のあり方やあり様に全く順応できてなく、相手の言わんとしていることも汲み取れず、自分の意図する事もないから相手と話しても相手に特にならないような話ばかり。社長から色々と指摘してもらっても、なかなかそれを体現出来ず、目的や目標、起こっていることに対してどうすべきか、何をしなければならないか、全く見当違いなことをしてしまったり、トラブルを巻き起こしてしまう。

自分が自分らしくいるためには苦労をたくさんして、いろいろな失敗、経験を積んでそれを生かして自分でいられる場所を見つけたり、築いていったりすべきなのだろうか。自分が自信をもって、自分でいられる場所にいるべきだと思うのだけど、自分が自信を持っていられる場所ってのは、今の自分のままでいられる場所だと思っている僕は甘いのだろうな。

またこんな感じになっている。自分に自信がなかったり仕事が頑張れていない時、どうしても楽しようとしたり嫌なことから逃げようとしたりしているとこんな、どうしようもないことをうだうだと考えてしまう。社長からはガムシャラになれ、と言われているが、ガムシャラになれない。やはりバスケのように、好きでやってる様子が、他人から見たらガムシャラになってると思われていることが一番良い。今の仕事、今の会社にはそれがない。これは会社のせいではなく、自分のせいなのだけど、どうしてもこの仕事だから、この会社だから、と思ってしまう。よその会社ならどうなるのだろうか。もっと自分らしく、心地よい自分でいられるのだろうか。

やはり自分を否定されている気持ちになってしまう今の会社。出来ないこと、社長の思うような働きぶりには全くなっておらず、そこには自分の努力が圧倒的に足りない事もわかっていながら努力せず、やれていないことを問い正される。僕の成長を望んでくれていることもわかるのだけど、それに応えなければという気持ちの動きにならない。何より怖さ、恐怖が先に出るから、逃げに出てしまう。あの社長と真正面から向き合うのは本当にしんどい。いつも逃げの姿勢で、自分なんてものは存在せず、社長が言ったことをベースにやることを最小限でやっている。体を萎めながら。思いっきり手足を広げて、のびのびなんて全くできていない。この会社にいて、僕はこの後ののびのびと、自分のスタイルでやれる日が来るのだろうか。自分スタイルを確立するほど、自分で動いていないから、自分というものがない。それこそがガムシャラさに比例して形作られて来るものだろう、自分のスタイル。試行錯誤、失敗と反省を繰り返し、少しずつ出来て来るんだろうな。

バスケでいっぱい負けたし、ミスもした。それを見返して、もっとこうしなければと何回も自分で思い返したり、ビデオ見返したりしている。仕事にはそれが全くない。

ガムシャラにやれる日は来るのかな、いや、来るのかなじゃなくてやれよ!と言われるのは百も承知だ。けど、誰かの力を借りてでも、ガムシャラにやれたり、楽しくてたまらないような仕事や働き方をしたいもんだ。

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