言うことを聞け

考えるのが苦手だ。特になにも考えずにボーッと生きてきた。自分の将来のこと、自分の過去のこと、自分の苦手なこと、得意なこと、やりたいこと、やりたくないこと、家族のこと、恋人のこと、友達のこと。

やれば出来るのだから、頑張りなさいと言われた。できない奴には言わないんだから、と。僕は出来るのだろうかと、自分で自分の事をよくわからないでいる、できないと思ってもいるし、いやいやそこら辺の人よりは出来るだろうと根拠のない自信もあるし、訳がわからない。もっと自問自答を繰り返して、自分は何者なのか、どういう人間かを認めたり認識しないといけないのだろうなぁ。

自分が困らない場所を選んで生きてきた。今の会社に入って、世の中はそんな事はない事に気付かされたが、自分が困らない場所でしか生きて来なかった僕には、わざわざ困る場所へ飛び込む必要はないよなぁと思ってしまう。苦手だったり、結果が出せなかったり、やる気にならないような場所に、居続けることは正解なのだろうか。こんな事を考えているから、お前は逃げるからダメだと注意されるのだけど。自分が頑張って、苦労をして、自分を成長させなければならない、それはそうだろうと思う。だけど、絶対に必要かと言われれば、それはNOの言う。

バスケが好きで、そこそこ厳しい環境に飛び込んだ高校。練習がきつかったし、顧問も厳しかった。愛のムチもあった。それに耐えて頑張れたのは、何よりバスケが好きだったからだろう。良い仲間がいた事も要因の一つだ。さらにその結果として、スタメンで試合に出ることや副キャプテンをやったこと、要するに結果がある程度残せた事も、続けられた理由だと思う。

部活は仕事ではない。仕事は部活ではない。だけど何か物事をやる、続けるにあたって、好きだから続けられる、という根本のものは誰にでも当てはまる事だと思う。僕が今の仕事を続けているのは、好きだからか?いや、そんな事はない。続けなければいけないからだ。今の状態を最低でも維持しないといけないからだ。成長や結果を見て、喜びを覚えて、よし、もっと頑張ろう!!という気持ちになっている訳ではない。

社会人はそれが普通だ!と言われればそれまでだ。楽をしたい僕には必要な苦労と、不要な苦労があると思っている、だから、それが普通と言われても、普通ではないと思ってしまう。

僕の母ちゃんは、一旦就職したが、好きでもない仕事をしていることがとても我慢できなかったらしく、自分のやりたい花屋さんをやることを心に決めて、親の反対も押し切って花屋をやった。結婚して、父ちゃんも花屋を一緒にやることになり、それはそれで自分が思っている形とは違ったみたいだけど、母ちゃんは自分のやりたいことをやってきた。僕にはそこまでの行動力もなければ、やりたいこともない。やりたいことをやっても、お金にならなければ意味はない。その現実を知り、やりたくもない仕事をやらざるを得ない状況に陥っている。けど、世の中的にはこれが普通なのだ。みんなやりたくないことをやっている。

今以上の頑張りをせずに、好きなことだけで食べていくなんてことは、甘い考えだし、そんなことはあり得ない。

バスケも好きだが、こうして文章を書くこと、音楽を聴くことも好きだ。そういえば、思いつきのようなものだったけど、音楽雑誌の編集社のライターになろうと思って、募集要項を見て、あっという間に諦めた事もあったっけ。確か募集の条件の給料が安くて、それでは食っていけないと思ったからだっ気がする。こう考えると、僕にとっては食うことがまず優先されて、その次にやりたい事が来ているんだな、じゃあ、食うために我慢して仕事することは受け入れなきゃいけない。自分はそういう事を選んで生きてきたのだから。

あの時、本気になって音楽雑誌のライターを目指して、安い給料でも何とか食べて、やりたい事をやっていたら…。僕のその後の人生は変わっていたことだろう。ライターで大成していないだろうけど、何か仕事に一生懸命になる、という経験を得られたと思う。僕はそれを諦めた。だって、食えないのは嫌だったから。今考えれば、若い頃だったら、一人で暮らしていくのにさしてお金をかけずに生活できるから、チャレンジすればよかったなと思う。

こんな内容、何度も書いてきたけど、やはり人間はそう簡単に変わるもんじゃないということを証明している僕だ。だけど、人には変われるよ、と軽々しく言ってしまう。簡単なら、僕がさっさと変わって、さっさと違う場所へ行ったらいいのに。

続けることは大切なことだ。だけど、その結果、何も変化や成長が生み出せないのであれば、それは無駄な時間にもなりうる。別の場所へ移って、違う可能性を探して、ここにいるよりも少しでも成長やら変化が出来ることを目指すべきなのかもしれない。

頭ではそんな事を考える、けどいざ行動に移すことができない。やはり今守るべきものがあり、それを捨てて、どうなるかわからないものを手に取ろうとすることがどれほどのリスクになるか、どうしてもリスクになることを選べない。

とは言え、このままでいることはリスクはないのかと言われれば、リスクがないわけではない。どちらがよりリスキーなのか、という観点で考えなければいけない。また同じ会社に勤めている人でも、その人の環境や能力、年齢などでも、リスキー度合いがどちらに振れるかはわからない。何も選べずに、そこに留まるしかない人生なのか、自分で選んでいけるのか。

この会社に入るのは、自分で選んだ事だ。続けてきたことも。辞めたいと思ったことも何度となくあった。だけど辞めずにきた。これも自分で選んできた。守らなきゃいけないとか言ってるけど、それのせいにして自分が動けない、動かないということは、やろうと思えば守りながらも進めることやチャレンジすることはできたかもしれない。それは今もそうだ。

自分には何が必要か。やりたいことや、なりたい自分になるためには、何をしなければならないのか。楽をして、のうのうと生きてきた自分には、そんなことを考えることすらも、大変なことのようになり、腰を重くすることを選んでしまう。

けど、人って、そもそも本当にそんなにいつも考えてるものなの?って思う。僕が何も考えないから、考えてる人のことがよくわからない。考えないでやれるレベルのことしか、やってないのが自分なのだろう。考えて、もっとやれる事を増やしたりすることを選ばない、それが僕だ。

僕はどうすればいいか?と聞いたところで、その通りやれないんだから、せっかく答えてもらっても無駄だ。まずは人の言う事を聞けるようにしなきゃならないか。

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