期待

考える時間が少ない。全く考えていない。これはおっしゃる通りだ。何というか、仕事のこと、考えて自ら発言したり、何か行動したりということは、全くと言っていいほどしていない。もともと、仕事の仕方が、アルバイトや日雇いのイベントバイトだけだったから、言われた事をちゃんとやって、それだけでお金もらってただけだもんな。そういう人たちの中では、僕はしっかりやってたし、いろいろちゃんとできた方だった。だけどだいぶ遅く社会人になって、求められることややらなければならないことが、全く変わって、言われた事をちゃんとやるすら、できなくなった。言われていることをきちんと理解して、その通りにやることがいかに難しいか。その中には、自分で考えなければいけない事もたくさん。会社の方針は?その中に自分のやりたい方向や持っていきたい方向はどうか?重なってるか?重なってないなら、その重ならないことをどうする?会社の方針に従うのは当然だが、それでも自分のやりたい方向に少しでも近づけるにはどうすればいいのか。

こんなことをフリーターの僕が考えた事もないし、考える癖も全くついてない。だって言われた事やるのが仕事だし、言われた事も至極簡単な事だったりするから。でもその簡単なことができない人もいるのだけど、僕にはそれはできた。

ん?そういうことか?僕が簡単にできてたこと、僕が未だにできないこと、これは他の人にとっては難しかったり、簡単だったりするわけか。そうか、そう思えば、まさに向き不向きの世界なのか。僕には今の仕事は向いていなくて、別の仕事なら向いていて、人が不得意と言われていることを、簡単にできるかもしれない。今はその逆の位置にいるから、不得意な世界の中にいるから、何をしてもうまくいかないという感じか。

そもそも、努力も足りないのだろうけど、努力をしなくてもやりやすい事と、努力しても、うまくいかない事があるのではないかと思う。

これは逃げの言い訳でもあるな、恥ずかしい。まずは努力をちゃんとせい、と言われるね。

なんというか、仕事については自分事ではなくて、他人事に感じているし、自発的に動こう、考えようということが、どういう事なのか、なんだか自分でやってはいけない事だったり、やって怒られるならちょっと待ってみようという感じになる。色々やろうしてやって、怒られたことがたくさんあるから、やりたくないんだろうな。

明らかにすごい人だ、うちの社長は。そんなことまで考えているのか、そして人に相対する時に、相手をコントロールする様に話をしたり、聞いたりする。僕がどう行動するか、どんなふうに考えているか、いや、全く考えていない事も見透かされている。経営者とはこういうものか。本当に勉強になるけど、頭でっかち、知識として言われたことが言葉として頭に蓄積されるけど、自分の言動に大きな変化が起きているわけではない。ちゃんと理解できていないし、やらなきゃいけないということが頭でわかってるだけで、どうにも自分が変わらない。

そんな僕に期待をかけてくれていることも、なんだか苦々しい思いだ。期待をかけるのは嬉しいけど、僕には全くと言っていいほどその気がない。ほどほどに頑張ってほどほどに給料もらえれば、それで御の字だ。家族を食わせなければいけないが、その為なら、どこまでも頑張れるかと言われれば、そんな感じでもない。最悪の事態は免れるようにしたいけど、そうならない為にがむしゃらに、というふうには今は考えられない。そうなってからでは遅いのだけどね。

仕事が好きな人?仕事ができる人?一体心や頭の中はどうなっているんだろう。僕は単純に、拒否反応をずっと示しているような感じだと思う。拒否反応が日常になってきたから、イヤイヤながらもやれている、と言った感じか。嫌なことを続ける事ほど辛いものはない。けど、その辛さが当たり前になってきていて、それを受け入れている。

社長に期待されているようにはなれないし、そこに向かおうという気持ちにもならない。大概の人は、そんなふうに思ってくれてるなら、それに応えなければ!と思うのだろうな。人の上に立つことは、これっぽっちも求めていない僕には、その期待や置かれている立場は、居心地のよろしくない環境だ。贅沢なのだろうけど、それはある人から見ればそうであって、僕にとってはそうではない、ということだ。

ただ苦労をしたくないんだろうな。そんなんじゃダメなことは、わかってる。だけど、だけども、わかっててもどうにも変えられない心。

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