10月11日

ふと、家族のことが心配になった。心配というか、必ず起こり得ることながらも、その心の準備であったり、もしものことが起きた時、どうするのか、ということだ。

僕の会社の社員さんの義理のお母さんが亡くなったという連絡を受けた。通院なんかもされていたようなので、体調は少し良くなったのだろう。けれど、昨日一日での出来事だった。はてさて、その事実を知った時に、僕の親は、奥さんの親は、どうなのか、まだまだみんな元気だし、会ったり連絡を取ったりしているから、その時その時の状況はある程度知っているから、そんな急に何か起こるとは想像もしていない。けれど、何か起こる時は急に起こるものだ。

事務的な手続きや葬儀のこともわからないから心配や不安もあるのだけど、そもそも両親がいて当たり前だったこの45年間だったものだから、もしいなくなってしまったら、と嫌な想像をするにしても、何とも実感も湧くわけがないし、自分が一体どうなってしまうのかも想像できない。要するに想像しえない、想像を超えるほどの出来事なのだろう。順番で言えば、間違いなく親が先である。これの順番が変わってしまったら、それほど親不孝なことはないだろう。もちろん、そんなふうになってしまうケースはあるのだけど、親不孝というか、親が辛すぎる、かわいそうすぎるケースだ。今こうして、僕に家族、子供がいて、奥さんや子供が、と考えたら、僕は生きていくのも辛くなるだろうし、どうにかなってしまうのではないかと思っている。そう考えたら、僕は僕で親のためにも健康でいなければいけないし、子供や奥さんには健康でいてもらわなければいけない。僕が子供、家族にそう思うということは、僕の親、兄弟は僕に対してそう思っているだろう、と簡単に想像がつく。僕が愛されていない子供であれば、そうも思われていないことがあっても何ら不思議ではないけど、自分なりに自分の育ちを振り返ると、明らかに僕のことを愛してくれて、大切に育ててくれたことは、しっかりとわかる。

僕たちは生まれて、死んでいく。みんな。誰一人、例外はない。たまに、生きるって何だ、何をするために生きてるんだ、と変なことを考える。生きるなら、どうせ生きるなら、楽しく、もしくは穏やかに、過ごせることが何より大切だと思っている。好きなことをやって、悔いのないように、と思うけど、果たして今の生き方は悔いが残るのではないかといつも自問自答するのだけど、結局は自分のやりたいこと、好きなことを追求したり、誰かにバカにされたりしながらも得意を磨いたり、何一つできていない。子供たちは楽しく過ごしているかな?奥さんは僕と結婚して、楽しくやれているだろうか。この先のそれぞれの人生、みんな素敵な人生を送ってくれたら、僕は何より幸せだ。僕が家族にそう思うということは、家族も僕のことをそう思ってくれるのかもしれない。あなたが幸せだったら、僕も幸せな気持ちになる。かと言って、僕が幸せならあなたも幸せだろ!と押し付けてしまいそうな考えも浮かぶのは僕の性格の悪さで、やはり持ちつ持たれつ、僕もあなたも幸せであることが、何よりなのだ。

カズレーザーさんは、人生一度なのに、だらだらしてしまうという相談者に対して、

「一度しかないのだからダラダラしていいんじゃないですか。何回もあるなら、今回はちょっと気合い入れてみるか、というのもありだと思うけど」

みたいなことを言っていて、面白い考え方だなあと思った。

漫画家の山田玲司さんのYouTubeもよく見ていて、他人に嘘つくのはいいけど、自分に嘘つくのは一番良くない、自分がどんどん失われていく、と言ってた。大人だもん、嘘くらいつくっしょ、まあ、嘘にもひどい嘘や悪い嘘もあるけど、自分に対しての嘘が一番よくないよねー、って。

そうだよなぁ、自分に嘘つくのは、良くないよなぁ、自分を陥れているんだもんなぁ。

そんなことを考えながら、マックでアイスカフェラテをすすっている。もうすぐ待ち合わせの時間だ。僕は僕を少し押しころしながら、今日もスーツをきて仕事を向かう。この姿を本当の僕が見たら、なんて言うだろうな。あれ?本当の僕、どこ行った?迷子になっているようだわ。

今日の一曲♪

小沢健二/アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)

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