僕らの街に雪が降る

また全てを見抜かれていた。なんでわかるのだろう。うちの会社の社長は。違う道を歩んでいたら、もっともっと稼いで、名を馳せたりしただろうに。もともとこの会社やる前から凄かったから、そりゃそうか。あんなふうには、到底なれるもんじゃない。憧れにもならないし、目標にもならない。凄いとわかるけど、あの人のようになりたいとは、なぜだろう、思わない。もはや、到達不可能とわかっているからかな。

僕は、これまで歩んできた人生を振り返った時に、後悔や罪のようなものを感じるだろうか。おそらく、後悔はいくらでも感じるだろう、もっとあれをやっていれば、もっとこうしていれば、何で何もやらなかったのか、と。罪のようなもの、誰かに悪いことしちゃったなぁ、申し訳ないことしたなぁと思うことは、今思いを巡らせて、何も出てこないけど、あるとしたら、子供達に対してかなぁ、もっといい父親であるようにすればよかったなぁとか、いろんなことさせてあげられなくてごめんね、とか。そういうのを、これからの人生で少しでも減らしていければいいのだけど、僕はずっとこうして42年歩んできたから、なかなか変わらないでいるんだ。

何かと楽をして、変化を拒んで、何もせずに生きていけたらいいなと思ってしまう僕。好きなことを仕事にしたいなんて思うけど、そもそも好きなことを仕事にする為に、何かやってるかっていうと、全くやっていない。そんな奴が、好きなことで生きていきたいなんて、おこがましい。

小さい頃に想像していた大人、おじさんの年齢になったけど、なーんにも変わらん。ゲッターズ飯田さんの占いの本には、僕は中学3年から心が止まってる人って書いてあって、その通りだなぁと思った。大人のフリしてるけど、そんな事ない。だから、大人のフリして頑張るより、興味あることや好きなことを継続していくことで、それが生業になるような、そんなスタイルにして行った方がいいでしょうってさ。なんかそれ、わかるんだよな。今までのバイトとか、続かなかったのは日常じゃなくて、生活の一部ではなくて、やはり異物感があって、反対に続けられたのは、異物感がなくて、生活しながらお金をもらってる感じ。頑張りもしたし、プレッシャーも感じることは多少あったけど、それも重荷にはならない程度。今の仕事は、9年くらいかな?経つけど、やっぱり異物感が拭いきれず、やることそのものにストレスがつきまとう。バイトと社会人では違うだろー!って、それはその通りなのだけど、バイトならなんでもノーストレスかと言うと、それはまた別だったから、きっと社会人として仕事するにしても、きっともっと生活そのものみたいにして、仕事ということをあまり意識しないでやれることがある気がして。だけど、世の中そんなに甘いもんじゃないことも、なんとなく理解していて。だからこそ、どうにもこうにも、動けずにいるわけだ。

とはいえ、今日は今日でやるしかない。いっちょ頑張ってくるか、適当に。

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